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2006年7月30日

2006年7月第2例会報告

2006年7月第2例会の参加者は5名でした。プレイされたゲームは以下の通りです。

・Downtown (GMT)
ベトナム戦争の北爆をテーマにする本作は、シナリオD7がプレイされました。

1967年8月末、南西モンスーンがもたらす快晴のうだるような暑さの正午過ぎ、トンキン湾のヤンキーステーションでベトナムツアー3度目を迎えた空母Coral Seaの甲板上では、今ツアー初のアルファストライクの発進準備が大わらわで進められていた。目標はハノイ東方のDap Cau橋。ハノイへの連絡路を絶つローリングサンダー57作戦の一環である。
事前の偵察で確認されたSAMサイトの位置を考慮し、今回の攻撃ではハノイ-ハイフォン間のSAMサイトコリドーを通り抜けるルートが設定された。ブリーフィングの後、まずジャミング任務のEA-1”エレクトロニック・スパッド”が発艦、続いてSEAD任務のA-4と護衛のF-4、さらにMigCAPのF-4、攻撃本隊のA-4と護衛のF-4が次々とカタパルトから青空に向け打ち出される。アルファストライクを構成する全機はヤンキーステーション上空で編隊を組むと、目標を目指し海岸線へと向かった。
一方、北ベトナム軍は防空監視網からの連絡により米海軍機が来襲してくることを察知し、警戒態勢を取った。SAMサイトのレーダーは電源が入り、各基地からは迎撃のMigが飛び立つ。一部の基地では損害を恐れた地上管制官により離陸が差し止められる一幕もあったが、離陸したMigは指定地点の超低空で旋回待機し牙を研いでいた。
1400時、高空から支援するエレクトロニック・スパッドを追い越し、SEAD編隊が海岸線を越えた。未確認のSAMサイトからのレーダー波を感知したECMの警告音が、SEAD編隊の各パイロットの神経を逆撫でする。が、発見できないことにはどうにもならない。SEAD編隊のA-4は攻撃本隊の露払いとしてルートをそのまま侵攻、F-4はMigの機影を求め分離北上した。

ジャングルのそこかしこから細長い物体がもの凄い勢いで上昇してくる。SA-2ガイドライン地対空ミサイルだ。その発射炎から未確認のSAMサイトを発見したSEADのA-4は、制圧すべくまず急降下でレーダー波を振り切りシュライク対レーダーミサイルを放つ。レーダー波に向かって突き進むシュライクはジャングルに消え、そしてレーダー波は停止した。SAMサイトを制圧したA-4は、目標近辺のAAAを制圧すべく転針して対空砲火の中を突き進む。

続いて海岸線を越えた攻撃本隊を護衛するF-4は、Mig護衛の任務と同時に対地制圧の任務も与えられ、クラスター爆弾を抱いている。SEADのA-4がSAMサイトを制圧している間に一足先に目標に到達したF-4の2機は、目標周囲のAAAを制圧すべく急降下を開始した。その瞬間、1機のF-4が火に包まれた。対空砲火の直撃を受けたのだ。影が墜落していく機体から打ち出され、パラシュートが花開く。しかしその数は1つだった。1名戦死。

残る1機が爆撃を続行したが大した損害は与えられなかったようだ。その連絡を受けた攻撃本隊のA-4編隊指揮官は、4編隊のうち1編隊をAAAの制圧に振り分けた。命を受けた4機のA-4が本隊から分かれ、猛烈な対空砲火の中AAA陣地に向かって襲いかかる。そして爆撃行程に入った4機のA-4のうち1機が突然爆散した。ガイドラインの直撃を受けたのか、対空砲火の直撃を受けたのかは分からない。僚機のパイロットはそれを確認する余裕もなかったし、その必要もなかった。さらに1名戦死。残った3機が満載した爆弾をばら撒き、身軽になって上昇すると対空砲火は目に見えて弱まった。目標爆撃のチャンスだ。残る3編隊が次々に橋に向かって爆弾を投下する。大量の爆煙が吹き上がり、橋は見えなくなった。爆撃の結果はBDAの偵察機が写真偵察を行い、帰還した時点で判明するだろう。生き残った爆撃本隊のA-4は対空砲火の届かぬ高々度に上昇し、帰路についた。
同じ頃、分離したF-4編隊の指揮官は苛立っていた。厳しい交戦規定で、目視確認したMig以外とは交戦できない。レーダーで追おうにも、F-4のレーダーでは超低空を徘徊するMigをグラウンドクラッターと判別できない。それでも熟練した搭乗員たちの目は、10マイル先の米粒のようなMigを発見した。急降下して接近すると明らかにこちらに気づいていない。急速に接近したF-4はMigの後方から必殺のサイドワインダー空対空ミサイルを放った。が、サイドワインダーはMigの横をそれ、あらぬ方向に向かって飛んでいき自爆した。初期不良か、過酷な熱帯の環境が精密機器を狂わせたのだ。そしてF-4は勢い余ってMigをオーバーシュートしてしまい、逆にMigに後ろを取られてしまった。必死の回避機動でMigから離脱した時、空には1つの爆煙と1つのパラシュートが浮いていた。また1名戦死。パラシュートの落ちていく先には、ジャングルを切り開いた鉄道線が見える。ということは、ジャングルの下では生き残った搭乗員をハノイヒルトンに送り届けるべく、北ベトナム正規軍が活動を開始していることだろう。海岸線から遠く離れ、かつハノイに程近いこの位置では戦闘救難任務を要請するだけ無駄だ。生き残ったF-4編隊は虚しく帰投した。

一方、帰路についた攻撃本隊と高速ですれ違った偵察任務のRF-8Gの2機は目標の橋へと向かっていた。爆撃終了から5分以上経過し、爆煙もおさまっている頃だ。周辺のSAMサイトはあらかたSEADが制圧し、AAAの対空砲火も微弱なままだ。偵察行程に入り、搭載された航空写真機が目標の橋周辺を高速度連続撮影する。大した抵抗もなく折り返した帰路、突然レーダー波を感知したECMの警告音が鳴り響いた。攻撃本隊を敢えてやり過ごし、BDAの偵察機を待ち伏せる未発見のSAMサイトが存在したのだ。何発ものガイドラインがジャングルから打ち上げられ、そしてそのうちの1発が至近弾となって爆発した。破片を受けた1機のRF-8Gが震え、コックピットではあらゆる警告ランプが付き機体の火災発生を知らせる。しかし幸いにも自動消火装置が働いたのか火災は鎮火し、煙と燃料の尾を引きながらも海岸線を越えなんとか母艦に帰還することができた。
作戦終了後のデブリーフィングでBDAが報告された。橋は完全に落ち、再建は相当の時間がかかるだろう。爆撃自体は大成功だった。しかし被撃墜3機、戦死3名、捕虜2名は戦果を打ち消すに余りある損害であり、作戦としては失敗と判定された。攻撃に参加したパイロット達は早々の戦死と捕虜発生に打ちひしがれた。しかし、落ち込んでいる暇はない。また明日も過酷な任務が待っている。

今回アメリカ軍の視点でレポートを書いてみました。敗因としては、SEADとMig護衛を積極的に使いすぎたことにあります。SEADは温存し、SAMサイトに損害を与える事よりもレーダーをシャットダウンさせることに重点を置くべきでした(シャットダウンしたレーダーは20%の確率で再起動します)。Mig護衛で無理にAAAの制圧を行ったことも反省材料です。
しかし、何度プレイしても興味が尽きぬ作品です。次はラインバッカー作戦でより強化された防衛網、より強化された攻撃機材でプレイしてみたいものです。

その他以下のゲームがプレイされました。

・Twilight Struggle (GMT)

・スターリングラード強襲 (GJ)

・Louis XIV (Alea)

・Puerto Rico (Alea)

投稿者 kotatu : 2006年7月30日 23:00

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コメント

"DOWNTOWN"のリプレイ、スッゲーおもしろかったです♪(^O^)
ありがとうございましたー(^_^)/

投稿者 ハナザー : 2006年8月 2日 17:44

>ハナザーさん

お褒めいただき光栄です。いやホント面白いんですよDowntown。ベトナム戦争あるいは空対地戦に興味がある人は是非プレイしてみて下さい。という気持ちで書きました。

投稿者 kotatu : 2006年8月 4日 22:46

kotatuさん、こんばんはー(^_^)/
"DOWNTOWN"のリプレイ戦友たちにも紹介したら、みな既に読んでいましたよ♪(^O^)
今回の例会はルール読みが間に合わなかったので次回の例会までには、ちゃんとルールを読んでプレイしたいで~す(^.^)b☆

投稿者 ハナザー : 2006年8月 9日 21:28

kotatuさん、こんばんはー(⌒▽⌒)ノ
kotatuさんのリプレイに触発されて、こちらでも"Downtown"プレイされてますよ(^.^)b☆
私はアメリカ海軍を担当したのですが、付随損害が多過ぎて負けてしまいました~(;´Д`)

投稿者 ハナザー : 2006年9月 5日 23:51

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